岩間分校のはなし
縁あって茨城県の岩間町に5年間お世話になりました。’84の夏に水戸の友人から紹介を受け |
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| て訪ねたのがきっかけでした。当時21歳だった私は保育士を志して勉強中でしたが身が入らず | |
| 親の家に寄食して将来の不安に鬱々としていましたが、水戸の友人の「岩間町の閉校になった | |
| 分校で、武蔵野美術大学の学生たちが面白い教育実践をやっているので見学にこないか?」と | |
| いう誘いに、気分転換のつもりで出かけていきました。これが今思えば自分にとっての大きな転 | |
| 換点で、紆余曲折を経てその年の冬にはほぼ住み着き、年度が明けた春からは岩間町教育委 | |
| 員会に了承を頂いて管理人という名目で定住しました。ここで過ごした5年間はたいへん刺激に | |
| 満ちていて、「自然の力」「生活の知恵」といった心の糧をたくさん頂戴しました。なにより「陶器」 | |
| のことを勉強できたのは幸運でした。一口にいえば『農村留学大学編』といったところでしょうか、 | |
| 5年の間の後半は、当時から親しくしていたりえ子も合流し、しまいには結婚式まで挙げさせてい | |
| ただきました。今思えば恥知らずな事ばかりやっていたような気がしますが、地域の人たちの | |
| 寛容さに甘え、貴重な体験学習をさせて頂いたと感謝しています。 |
| 岩間第一分校を卒業?して、早18年が経ちました。横浜に戻った後も岩間で学んだことはおおいに |
| 役立ち、遂には陶器で身を立てるまでになりました。かまなりやの芋乃市場で好評の自家製味噌 |
| は仲通の池田さんのおばあちゃんに教えていただものです。その他、多くの方から「山仕事」「大工」 |
| 「畑づくり」「米づくり」「炭焼き」「お酒」「畜産」「井戸」などなど、沢山の貴重な知恵をわけていただきま |
| した。また、世代を超えた、たくさんの方と知り合うことができ、今でも親しくさせていただいています。 |
| 東京生まれで横浜育ちの私には「実家」「田舎」と呼べるような故郷がありません。たった5年の滞在 |
| でしたが、岩間町と岩間第一分校は私たちにとって忘れることの出来ない存在になりました。 |
| 甚だ勝手ながら、「こころのふるさと」として今でも大事に大事に思っています。 |
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| 平成元年(1989)「ぬくぬくのたね」 撮影 : 荒川孝次さん |
| 現在も少しづつ形を変えながら分校の活動は続いています。 管理人も7代目になったそうです。物つくりの集まる場に相応 しい素敵なサイトがあります。 |
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| 岩間町は「愛宕山の天狗伝説」「六所神社のお祭り」などの 素晴らしい文化を持つ町です。合気道発祥の地でもあります。 平成18年笠間市と合併しました。 |
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